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子罕第九(227)

子曰。後生可畏。焉知来者之不如今也。四十五十而無聞。焉斯亦不足畏也已。

子曰く。後生畏るべし。焉んぞ来者の今に如かざるを知らんや。四十五十にして聞こゆる無し。焉んぞまた畏るるに足らざるのみと斯らんや。

子曰く。新しく道に志す者達は畏るべき存在だ。どうして新しい者が既存の者に及ばないと言えようか。また同じく四十五十で大成しないからといってどうして畏るるにも足らざるのみと切り捨てることができようか。

この章は後生の成長する可能性を知って自身が発憤せよという趣旨の章であるとともに、四十五十で大成しないからといってどうして畏るるに足らざるのみとして切り捨てることができようかと述べていると思われます。何故なら本章を読めば明らかに「後生畏るべし。焉んぞ○○。」「四十五十にして聞こゆる無し。焉んぞ○○。」というように対になる語調を感じることができるからです。

さらに「亦不足畏也已」の「亦」は同じ物事がもう一つあることを表すことばです。従来の説では学而第一(001)で「不亦説乎」「また悦ばしからずや」を「なんとうれしいことだろう」と訳すように、「なんと畏るるにも足りないものだ」と解釈する傾向があります。しかし、この「亦」は学而第一(001)においても本来話者として初めから複数の例を話す事を念頭に置いた上で第一番目から「また」といっているはずです。「また悦ばしからずや」「また楽しからずや」「また君子ならずや」として言葉を重ねることで、それぞれを強調して行く話法です。これを日本語に訳す時には話法の趣旨を酌んで「なんと○○だろう」としているのでしょう。そのため子罕第九(227)で「亦不足畏也已」を「なんと畏るるに足りないものだ」と訳す時にも本来の「亦」の意味を酌む必要があるといえます。つまり前段の「どうして及ばないことがあろうか」という流れと同じく、前にある「焉」字を含めて「どうしてまた畏るるに足らざるのみといえようか」という反語の形になることを「亦」で示していると解釈するべきではないかと思います。

その上で「斯」を近称の指示詞としてではなく動詞の「きる」と解釈すればどうでしょうか。つまり「焉んぞまた畏るるに足らざるのみと斯らんや。」と読むべきだと考えます。

これらは唐突な解釈変更ではありません。本来ひとつ前の章である子罕第九(226)に「子曰く、苗にして秀でざるものあるかな。秀でて実らざるものあるかな。」とあることの続きとして子罕第九(227)が位置づけられていると考えられます。つまり苗は本来穂が出るものであり穂が出れば実るものだという趣旨で子罕第九(227)があり、子罕第九(226)の「苗にして秀でざるものあるかな」に対して「どうして来者が今に如かざると知ることができようか」と受け、同じく「秀でて実らざるものあるかな」を「四十五十にしてどうして畏るるに足らざるのみといえようか」と受けるという構成だと考えるべきでしょう。

四十五十にして聞こゆる無しということが畏るるにたりないものではないことは、早世した顔回を思うだけで十分に理解できることだといえます。孔子が四十五十からでも十分に大成するという思いを持っていたであろうことは孔子自身が道義の衰えた乱世を救うべく五十六歳の時に諸国歴訪の道に踏み出した決意をみれば自ずから明らかと言えるでしょう。

もしもこの章の本来の意味が歴史的に封印されて来たとすれば、それらの時代には厳しい官吏登用試験によって序列付けられる官僚機構があったことが挙げられるべきでしょうか。四十五十から大成するという考え方は官僚機構による序列とは相容れないものであるためです。