日本語辞書

lexicon.jp

省研究雍也第六(131)雍也第六(131)ノート雍也第六(135)ノート

雍也第六(131)論語ノート20171015

子游為武城宰。子曰。女得人焉耳乎。曰。有澹台滅明者。行不由径。非公事。未嘗至於偃之室也。

子游、武城の宰と為る。子曰く。女、人を得るに焉んぞ耳するか。曰く。澹台有れば明者滅ぶ。行くに径に由らざれば公事に非ず。未だ嘗て偃の室に至らざる也。

子游が武城の宰となった。子曰く。おまえは優秀な人材を見分けるのに、何故聞き知ろうとするのか。子游がこたえて曰く。起伏なく広がる土盛りの見晴らし台があれば遠目の利くものは必要ではなくなります。行うにも(目を瞑っていても迷うことのない程の)まっすぐな本道を通らないようでは公けの務めとはいえないでしょう。(だから私は耳できくことを重視しているのですが、、、。)未だ嘗て私が求める水準に至る者はありません。

この章では「耳」を理解したいと思いました。「而已」を「耳」で表し、「のみ」と考える用法であるとすれば、孔子は「なんじ人を得るのみか。」として宰になった上では優秀な人材を集めることが課題だなと述べている可能性もあります。しかしここは素人読みで「焉んぞ耳するか。」と読んでみようと思いました。

ところが、「焉んぞ耳するか。」の方が意味不明と思われるところ「澹台滅明なる者」という人名を疑ってみたくなりました。澹台滅明(たんだいめつめい)は孔子の弟子だということですが何らかの理由で名読みされて来たもので実際には本文ではないかと思いました。澹台の「澹」は水がゆったりと満たされる意味であり、起伏なく広がるという状態を表します。澹台の「台」は、旧字の「臺」で「土を高く積んで人が来るのを見る見晴らし台」という意味とあります。「明者」を目の利く者という程度に理解すると、「起伏なく広がる見晴らし台があれば、遠目の利く者は滅びる」という意味に理解できます。

次に「行不由径」ですが、「径」の意味は、両地点をつないだ真っ直ぐな道という意味であり、むしろ本道と捉える方が本来の意味のように思えます。そして「径」を本道と解釈すると「行くに本道に由らなければ、、、。」となり後ろに続く言葉が必要になります。そこで「非公事」を続けて読むと「行くに本道に由らなければ公事ではない。」となり、公の務めは公明正大であり脇道を通るものではないという意味に理解することができます。

孔子は為政第二(026)で人を判断する上で「視」「観」「察」の3つの字を使って見分けることを述べているのですが、この章では弟子の子游が人を得るために見るのではなく「耳する」というので、何故そうするのかと問うていると仮定します。子游は例え話として見張り台さえあれば誰でも遠くを見渡せることと、正しいことは真っ直ぐなことだから目を瞑っていても行えると述べます。そして目で見るだけでなく耳で情報を入手して人を判断することの正当性を主張していると読むことができると思います。

当人が述べる言葉や、周囲の人が下す評価を聞いてみるとその人の評価が自ずと定まって来るものですが、孔子のいうようにその人が何を行っているかを見ることが人物評価の上では欠かせないものです。自分の目で見たことを考える時、子游は言葉で考えて耳でその声を聞いているのでしょう。思考とは仮想的に言葉を発し、仮想的にそれを耳で聞くという過程だといえます。耳するという言葉の意味に、聞くことに加えて「視」「観」「察」によって自身で下す判断をも含めるなら、それは物事をありのままに認識する上でのより良い方法といえます。孔子は子游の言葉に反論していませんから、子游がその広義の「耳する」を実践していると認めたのかもしれません。

そして「未嘗至於偃之室也」については先進第十一(267)にもある「室に入る」という「域に達する」意味の慣用表現の変化した形の否定形と読めばどうかと思います。「未だ嘗て偃の室に至らない」とは「未だ嘗て偃が求める域に達する者がない」という意味に理解したいと思います。従来から「公用以外に部屋に来ない」とは「個人的な頼みごとはしない」という意味に解釈されているようですが得るべき人の説明としては敷居が低いように思います。

関連項目



更新記録