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泰伯第八(189)論語ノート

曾子曰。以能問於不能。以多問於寡。有若無。実若虚。犯而不校。昔者吾友。嘗従事於斯矣。

曾子曰く。能を以て不能に問う。多きを以て寡きに問う。有れども無きが若し。実てるも虚しきが若し。犯さるるも校せず。昔は吾が友。嘗て斯(さ)きて事に従う。

曾子が言うには、能力者を以て不能力者に問う。多数者をもって少数者に問う。有ろうが無かろうが、実ろうが実るまいが、枠を外れていようが型にも嵌めない。昔わが友は、かつて現実の中から良いものを選んで事に従ったものだ。

本章は、述而第七(172)と同じ趣旨を述べているように思われます。「吾友」とは孔子のことかもしれず、「於斯」は「割きて」、「分かちて」、「他と区別して」という意味に読めるように感じてきました。例えば、子罕第九(217)の「有美玉於斯」(ここに美玉あり)も、訓読する上では「ここに美玉あり」で良いものの、その意味は「割きて美玉あり」、「他とは違う美玉あり」という意味を含んだ言葉なのかもしれません。

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