1. 為政第二(034)N

為政第二(034)論語ノート

子張学干禄。子曰。多聞闕疑。慎言其余。則寡尤。多見闕殆。慎行其余。則寡悔。言寡尤。行寡悔。禄在其中矣。

子張、禄を干(もと)むるを学ばんとす。子曰く。多く聞き、疑わしきを闕(か)き、慎んで、その余りを言えば、尤(とが)め寡(すく)なし。多く見て殆(あや)うきを闕き、慎んでその余りを行えば、悔い寡なし。言いて尤(とが)め寡なく、行いて悔い寡なければ、禄、その中に在り。

本章は、俸給を得る術をたずねた子張に対して、孔子が一段低い、たとえ話をしたという趣旨ではないと思います。孔子は、万能の知識人なのではなく、物事を正しく行う術を実践した人ということでしょう。何事を行うにおいても、多くの人から意見を聞いて、気がついていることを聞き出して、意外性や当然踏まえるべき論点を出し尽くして誤りを少なくすることの大切さを伝えた。それは結局、集団的に物事を進めることを意味しており、それぞれの人に当事者意識が生まれ、人と人の関係が培われる。そして集団的に実践したことからは、妬みや恨みごとは出てこない。また、聞くと見るとの区別までは分かりかねるものの、物事を目の当たりにして、「これは危ういな」と思うことは、やり直して、欠け目なく心を配って、危うさを取り除いて行えば、悔やむこともない。それが物事を正しく進める方法であり、それを実践して行けば、俸給が当たらないということはないだろうと教えた。

これは実践法の伝授であって、孔子が本当に思っていることを述べたのだと思います。事ごとに意見を聞くと、「頼りない」という評価が下ったり、「自分で考えて実践しろ」などと、言われるかもしれません。しかし、周りに意見を求めずに、自分ひとりで物事を進める人が本当に偉いのか?そうではないと述べているのが本章の核心だと思います。