1. 八佾第三(048)N

八佾第三(048)論語ノート

子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。何謂也。子曰。絵事後素。曰。礼後乎。子曰。起予者商也。始可与言詩已矣。

宮崎先生は「絵事後素。」を、「かいじは素の後にす。」と読まれています。広辞苑では「絵事は素を後にす」として最後に白色絵具で後仕上げをするというように解釈されています。絵事は「素の後」と「素を後」では全く意味が違います。私は宮崎先生を支持したいと思います。

まず「巧笑倩兮。美目盼兮。素以為絢兮。」の解釈として、それぞれの言葉の意味を調べて見ました。倩はすっきりした男。もしくは口元がすっきりと美しい様。盼は、分かりませんが目を分かつのですから目を開くとでもいう意味でしょうか。素は蚕の原糸のことだそうです。絢は織物の美しい模様です。これらの事から考えると、まず「素以為絢兮。」とは、蚕の原糸が織りなされて美しい織物となることを表していそうです。そして「巧笑倩兮。美目盼兮。」は「かわいらしく笑う口元のすっきりとした美しさ。見開く目の美しさ。」というような意味でしょう。笑ったり、目を見開いたりするしぐさは、人の日常的な素(そ)となる動作だと考えると、そうした人のしぐさが織物のように織りなされる美しさは蚕の絹糸が織りなされて美しい織物になることのようだと例えた歌だと考えられないでしょうか。

そして子夏が、この歌はどういう意味ですかと問うたことに対して、孔子は「絵事後素。」として絵を描くのは下地作りをした後という意味だよと説明したと私は考えます。これは宮崎先生が「絹の上に絵を描こうとするには、まずこれを漂白してから後」と読んだことと同じです。ただ私が思うには、孔子は「人そのもののしぐさが美しいのだよ人が先にあるんだよ」という意味を含めたのだと思います。これは、詩経の一節を引いて「伝統的な、何気ない言葉に新しい解釈を吹き込んで教え」る孔子の教授法の一つの場面といえるのでしょう。

そこで子夏が、「それでしたら人においては素が仁で礼は後ですね。」と理解したことを孔子に述べたのだと思います。つまり「礼で後仕上げですね。」ではなく礼は後なのだと気がついたのだと思うのです。これは礼を後回しにするという意味ではありません。顔淵第十二(279)に「己れに克ち、礼に復えるを仁と為す。一日、己れに克ちて礼に復えらば天下仁に帰せん。仁を為すは己れに由る、而して人に由らんや。」とか学而第一(012)「和を知って和するとしても、礼で之を節しなければ、また行われないことがあるものだ。」というように礼は大切なものでしょう。しかし、この場面では、子夏は「後仕上げ」に気づいたのではなく、やはり、「礼は後なのだ」と気がついたのだと私は思います。

孔子はたいそう喜んでおそらく膝を打って「その通り!」と言ったに違いないと思うのです。つまり八佾第三(043)に「人にして不仁ならば礼を如何。人にして不仁ならば楽を如何」と言っている孔子は、まず人として仁の道に反しない人間性。親に温かく接し兄弟を大切に思う。そして自分の生き方に忠実であろうとする心。そういう人間性がまず大切であるという思いを言い当てた子夏に「起予者商也。」というほめ言葉を贈ったと思われます。私は、礼というのは人が仁の道で生きる上で、それぞれに折り合いを付けていく方法だと考えます。

つまり、まず素が大切で、礼はその後の絵事なのですねと得心した話ということでしょう。