1. 里仁第四(067)N

里仁第四(067)論語ノート

子曰。里。仁為美。択不処仁。焉得知。

子曰く。鯉や。仁を美と為せ。択んで仁に処らずんば、焉んぞ知を得ん。

まず、衛霊公第十五(382)に「由知徳者鮮矣。」「由や。徳を知る者は鮮いかな。」とあります。この章は「由」が呼び捨てにされており、宮崎先生は論語において弟子を呼ぶときは「由也」と「也」を添えるのが普通だと指摘しておられます。また、泰伯第八(183)「子曰。君子坦蕩蕩。小人悵戚戚。」の「長」として伝わっている字は「悵」と同音なので仮借に用いたに違いないと指摘しておられます。宮崎先生のこれらの説を念頭に置きつつ、仮借といえば私は「里」は「鯉」の仮借だと思います。

孔子は息子の鯉のことを陽貨第十七(444)において「女(なんじ)」と呼んでいます。また先進第十一(260)において「鯉也死。」「鯉や死せしとき」と「鯉」と表現しています。そもそも仲由のことを名前で「由(ゆう)也」と呼ぶのですから、自分の子供のことを「鯉也」と呼ぶことがあっても自然だと思います。そして「也」を添えずに呼ぶことも私はあり得ると思います。

鯉という字は、象形文字の「魚」と整然と区画された田畑の意である「里」を合わせたものであり、うろこが整然と並んでいる魚という意味のようです。「魚」を「吾」の仮借に用いる時代もあるようですし、年長の意を表す「伯」をつけた「伯魚」が鯉のあざなでもあります。このあざなにおいて「魚」と「里」を分解して伯魚としていることは、「里」の持つ意味を意識して切り離す謙遜した表現なのかもしれませんが、なおさら「里」の持つ「整然としている」という意味が名付けの思いとしてあることを想像させます。そのため、論語の筆記者が「里」を「鯉」の仮借に用いても何ら不自然ではないといえます。

次に、「仁を美と為す。」とは、どういう意味かを考えてみます。堯曰第二十(498)で子張が政治を行うことを問い、孔子は「尊五美。屏四悪。」「五美を尊び、四悪を屏く。」と答えています。この五美は、学而第一(005)と同じ趣旨のことを詳しく述べているのですが、民が価値があると思うところに予算をつぎ込み、労働する価値のあることで民を使役し、欲して貪らず、衆寡、小大によって慢らず、衣服や姿勢を正して安定感のある態度を示すことと説明されます。孔子は、この子張との対話の中で為政者が仁を欲して仁を得たからには何を貪ることがあるのかと云います。これは仁政によって美が成り立つことを示しています。押し広げて考えると「仁を五美と為す。」といえるのかもしれません。私は「仁は美を為す」と読みたいのですが、今のところはその根拠を見つけることができません。

そして里仁第四(068)「子曰く。不仁者は以て久しく約に処るべからず、以て長く楽しみに処るべからず。仁者は仁に安んじ、知者は仁を利とす。」では、里仁第四(067)の「択不処仁。」を受けて「不仁者」は「処るべからず」と同じ言葉を使って説明が加えられています。そして知者は仁の利点を知って仁を行うのだという説明は、里仁第四(067)の選んで仁に処らなければどうして知を得ることができようかとさとす言葉の前提になっています。これら二つの章は対をなすものであり里仁第四(067)においても仁は仁として説明しなければ意味が通らないと私は考えます。

その上で里仁第四(067)は、いくぶん説教調の章であることに着目すれば、同じく「知」について扱っている為政第二(033)で孔子は仲由に対して「由。誨女知之乎。」「由や、なんじに之を知るを誨えんか。」と説教調に云っています。また、衛霊公第十五(382)「由知徳者鮮矣。」「由や。徳を知る者は鮮いかな。」も、直接的な表現ではないですが仲由に対して説教をしているとも読めます。このように愛弟子由への説教調の会話時に「也」を添えず「由」と云っている孔子ですから、里仁第四(067)も息子の鯉に対して愛情を持って説教する立場から「里。仁為美。」「鯉や、仁を美と為せ。」と「也」を添えずに呼び捨てに云ったと見るのも自然な解釈でしょう。

また、別の仮説として私が思うには「里仁為美」も実は「由仁為美」なのかもしれません。速記の加減か、達筆の加減か、もしくは活字的な字の逆転で「由」の字が回転すれば、下に突き出した棒が仁の「二」字に突き刺さって里に読めます。そして「俚」のように見える字を「里」と「仁」の二字に読んだとも考えられます。論語の中で名前で呼び捨てにされるのは由だけなので、こういうこともあり得ることです。つまり「由や、仁を美と為せ。」と訓ずる可能性があります。もしくは「仁に由りて美を為す。」かも知れません。「仁に由りて美を為す。択んで仁に処らずんば、焉んぞ知を得ん。」とは、なおさらあり得る解釈だと思えてきます。