1. 里仁第四(073)N

里仁第四(073)論語ノート

子曰。人之過也。各於其党。観過。斯知仁矣。

「子曰く。人の過ちや、各々其の党(とう)においてす。過ちを観て、知仁、斯(さ)かるるかな。」

現代語訳としては「子曰く。人の過ちは、それぞれ徒党を組む中でおこる。過ちがあるかどうかを観察すれば自ずからその人が知者か仁者かを判断することができるのだ。」となります。里仁編には知者と仁者を対比して述べる章がいくつかあり、この章もその一つと考えられます。正式には「斯(ここ)に仁を知る」と解釈されている章です。しかしこの「斯知仁矣」については、「斯」字を切り分ける意味の動詞「さく」と解釈し、「知」と「仁」を「切り分ける」こと、つまり知者なるか、仁者なるかを切り分けて判断するという意味に読むべきだと私は考えます。斯(さ)くの未然形に自発もしくは可能の助動詞の連体形を付けて矣で語調を強めると「斯(さ)かるるかな。」となると思います。「自然と斯(さ)かれるのだ。」「斯(さ)くことができるのだ。」というような意味になります。

そのような思いを持つに到ったのは衛霊公第十五(400)「子曰く。君子は矜(ほこ)りて争わず、群して党せず。」「諸君は自尊心を持って奪い合わず、行動を共にするものがあっても仲間内だけの利益を考えるな。」という趣旨の章との関連について考えたからです。つまり「党」とは「徒党」という意味であり、「仲間内での利益を確保する者達」の意味です。

例えば、行動を共にする仲間があれば、お互いに相手を大切にしようという意識が出てくることは自然なことです。仲間の為になるようにしてあげようという自然な感情は仁の徳だと思います。しかし仲間同士で行動するうちに、そうした思いが行き過ぎると不当に便宜をはかったり、間違いを指摘しなかったりと、なれ合いの関係に陥り易いと思います。同志が徒党に変化してしまう「過ち」だといえます。

知者は仁が有益であることを知り仁の立場で行動しますが、行き過ぎることもあります。しかし仁者は、「群しても党しない」のであり、「人が党することで過ちをおかす様を観察すれば、それが知者であるか仁者であるかの判断がつくものだ。」というのがこの章の意味であろうと思い至りました。つまり本章は仁者が徒党を組む過ちをおかさないことを述べているのだと思います。

しかし仁者はすべての過ちをおかさない訳ではありません。例えば述而第七(177)で陳の司敗が孔子に「魯の昭公は礼を知る人ですか」と尋ねます。孔子が「礼を知る人です。」と答えて立ち去った後に、陳の司敗は巫馬期に「吾聞君子不党。君子亦党乎。」「私は君子は党せずと聞いていますが、君子もまた党するのですか。」と事例を出して昭公が礼を知らないことを説明します。巫馬期はその事を孔子に報告し、それを聞いた孔子は「私は過ちがあればきっと人が知らせてくれる」と云います。つまり仁者も過ちをおかすのです。しかし子張第十九(492)「君子の過ちや、日月の食の如し。過てば人皆なこれを見る。更むれば人皆なこれを仰ぐ。」というように、過ちに気づけばさっさと改めるので、人の評価が下がる訳ではないということです。一方で子張第十九(479)「子夏曰く、小人の過ちや、必ず文(かざ)る。」として過ちを受け止めず言い訳をして反省できないのは小人だということになります。