1. 子張第十九(495)N

子張第十九(495)論語ノート

叔孫武叔。毀仲尼。子貢曰。無以為也。仲尼不可毀也。他人之賢者。丘陵也。猶可踰也。仲尼日月也。無得而踰焉。人雖欲自絶。其何傷於日月乎。多見其不知量也。

叔孫武叔、仲尼を毀る。以て為す無きなり。仲尼は毀るべからざるなり。他人の賢者は丘陵なり。なお踰ゆべきなり。仲尼は日月也。得る無くして踰えんかな。人自ら絶たんと欲すといえども、其れ何ぞ日月において傷まんや。多く見て其れ量を知らざるなり。

叔孫武叔が仲尼を毀る。子貢曰く、為すことがありませんよ。仲尼は毀ることができません。他人の賢者は丘陵に至るようなもので、猶その隔たりは越えることができます。仲尼は日月に至るものであり、得ることのできない日月であっても、その隔たりを越えておられるのです。人が自ら日月を無視することを欲しても、それで日月の、いったい何が傷つきましょう。日々、日月を目にしていても、あなたは、その大きさを知らないのです。

この章では「無得而踰焉。」を「得て踰ゆるなし。」と読む従来説を覆して「得る無くして踰えんかな。」と読むところに新解釈の可能性を探ってみました。例えば為政第二(019)に「民免而無恥。」とあります。これは「民免れて恥なし。」と読まれています。もしも、子張第十九(495)が「得て踰ゆるなし。」と読むのであれば、同じように「得而無踰焉。」と表記されるはずだと思います。また憲問第十四(378)に「長而無怵焉。」とあります。これも「長じて怵(おそ)る無からんや。」とする用法の例です。つまり、「無得而踰焉。」は、「得る無くして踰えんかな。」と読む方が自然だと言うことができるはずです。

次に「他人の賢者は丘陵なり。」というのは、賢者とは丘陵に登ることができる人であり、丘陵に登ることならば賢者としての努力次第で、その距離に近づくことができるだろうと述べていると考えます。そして「仲尼は日月なり。」についても、仲尼は日月の領域に至っていると述べていると考えます。そして「無得而踰焉。」を「得るなくして踰えんかな。」と読み、人が日月に登るというようなことはないが、仲尼は、その日月との距離を越えている。どうして越えないことがありましょうかと述べていると考えます。これについては、次の子張第十九(496)「猶天之不可階而升也。」「猶お、天の階すべからざるを昇るなり。」にも繰り返されています。

それでは、日月の領域とは何でしょうか。子貢が述べる日月とは、子張第十九(492)に「君子の過ちや、日月の食の如し。過てば人皆なこれを見る。更むれば人皆なこれを仰ぐ。」とあります。この章では、君子が、あまねく人々の進むべき道を照らし導くことによって、人々が当然のようにその恩恵を享受している状態を指して、君子を日月に例えていると考えられます。その上で、君子の過ちは日食や月食のようなものだと述べているのです。これと同じ趣旨で子張第十九(495)でも、子貢は仲尼を、日月の領域にあると述べているのだと私は思います。そして日月の領域に至る仲尼に対して、人がその関係を絶とうと思っても、それは日月においては何も痛くもないことだと子貢は述べるのです。

「多見其不知量也。」については、「多(まさ)に其の量を知らざるを見(あらわ)すのみなり。」と読む説があるのですが、私は普通に為政第二(034)にあるように「多見」については「多く見て」と読めばよいと思います。日月とは人々が日々目にするものであり、これを「多く見て」と表現するのだと思います。そして多く見ていても、その「大きさ=量」を知らないのですねと子貢が叔孫武叔に述べたということでしょう。