1. 記憶力

記憶力

記憶力とは、意識的に鍛えないと衰える脳内における情報再現力。保持力をいう。ゆるいドライブレコーダーのように、常に本を読んだり、映画を見たり、全体像を全体として丸ごと認識するような受け止め方は、大人になっても日々経験している。

しかし、3分で憶えてください。全部答えて下さいとか、百人一首を100首とも全部暗記してくださいというような完全記憶力は、日常生活では問われなくなるし、相当に衰える。その能力を取り戻すには訓練が必要になる。こうした完全記憶の断片を、部品として扱って、思考を動かしていく能力は、訓練しなければ維持することはできないし、脳の活性化においては、凡人と知識人とを分ける壁として立ちはだかっているように思える。

例えば吉本新喜劇の俳優さんが、長いセリフを淀みなく口から発するとき、一時間や二時間の舞台において、発言するすべてのセリフを一言一句間違わずになぜすべて暗唱できるのだろうか。きわめて高い情報再現力であり、情報保持力ではないか。単に反復するだけではなく、完全記憶を意識すること。完全記憶の部品を自在に活用し、立体視していく能力を高めているのだろう。それはある意味で数学的アプローチかもしれない。定義、法則、抽象的な最小単位のルールを積み上げて自在に思考する数学的アプローチが記憶力を高めるヒントになっているのかもしれない。さらに完全記憶の訓練の反復も必要だろう。何を今さらということかもしれないが、ワンフレーズを憶えて再現する訓練をテキストを読むときに意識することが必要なのだろう。

しかし、ここで大切なことがある。もう現役の学生時代をはるか彼方に体験したものとして、今になって思えば、全部忘れてもいいという開き直りの境地が必要ではないか。その一瞬だけ再現できればよい。3分でいい。後になって憶えていなくても当たり前。恐れない。これが大切ではないかと思う。学校教育においては、成績が振るわなければ進学できないという過度のストレスがトラウマになる。できないことや、知らないことが怖いと思ってしまっている。その呪縛から自分を解き放つことができるまでに、いったい何年掛かっているのだろうか。映画マトリックスではないが、本当に、人が持っている記憶力を阻害する。脳の働きを妨げるという精神支配そのものなのかもしれない。

間違ってもいい。知らなくてもいい。自由にものを考えて、自由に成長できる能力を取り戻すことが大切だと思う。