1. お見えになる

お見えになる

お見えになるとは、尊敬する人が自ら姿を現わすことをいう。例えば、会社に大切なお客様が訪ねてきて、受付に自ら姿を現わす。その結果、社員は大切なお客様が訪ねて来きたことを認識する。そこで発する言葉が「お客様がお見えになりました。」それは社員の目にお客様が見えたという意味ではない。お客様の目に社員が見えた(映った)という意味でもない。お客様という大切な存在が、自ら衆目をあつめる場所へ、この場合は会社へ姿を現したということを親しみを込めて、尊敬を込めて言い表しているということだろう。つまり、尊敬する人の行動として、自ら衆目を集める状態になることが先にあり、その結果として周囲のものは、その尊敬する人を見ることができるようになる。

お見えになることを「来る」と解釈する辞書もある。しかし、お見えになるとは、来ることではない。お見えになるとは、生えてきたとか、咲いたとか、日が昇ってきたという趣旨の表現であり、そこに感動が伴っていることを見落としてはならない。