1. 話の触り

話の触り

少しさわることを触れるという。「パソコンに触れてみよう。」など、習い始めに導入部分を理解することや、全体像の輪郭を知るような場合に使われる。このことが「話のさわり」という言葉をも「話の導入部分。」や「話の概要。」という意味に感じさせる原因ではないだろうか。

ところで、触るとは表面に手を当てる。表面を手でなぞる。というように表面的な接触のように感じられる。琴線に触れるという言葉も、表面的に与えることができる影響の範囲によって、偶然にも相手の心を動かす結果を生むという趣旨だといえる。

心に触るという表現があるとすれば、それは人の内面に触ることに感じられる。現代において、内面に触られることは干渉に他ならない。心に届いたり、響いたりすることは、自らの精神の取捨選択の結果であって、他者の思惑によって触られる結果ではないと思いたい。ゆえに「心に触る」という言葉の使い方は、干渉的な印象を与えるものとして抵抗感を禁じ得ない。

本来、「話の触りを聞かせる」とは「心を触られる程に重要な要点部分を聞かせる」という趣旨だとされる。つまりそれは、一から十まである話の核心部分を要約して伝えたり、その話に聞くだけの意味があることを伝えることができてはじめて実現できる結果を表しているのではないだろうか。

あくまでも心を触られる程の要点があるのかどうかは聞き手の評価に委ねられることになるのだから、結果を前提とせずに、その前段の働きかけ時点までさかのぼって考えても良いのではないだろうか。つまり話の触りを聞かせるとは、話の導入部分や、話の概要、話の要点を聞かせることとして捉えておいても良いように思われる。