1. 里仁第四(079)N

里仁第四(079)論語ノート

子曰。能以礼譲。為国乎。何有。不能以礼譲。為国。如礼何。

子曰く。能を以て礼を譲る。国を為すや何か有らん。不能を以て礼を譲る。国を為さば礼を如何。

子曰く。能力があって礼を譲るなら国を治める上で問題はない。能力もなしに礼を譲り、国を治めれば礼はどうなるのか。

この章は、学而第一(012)「礼をこれ用うるには、和を貴しと為す。」に通じる章として読むべきだと思います。「能を以て礼を譲る」という読み方は、泰伯第八(185)の「三以天下譲」「三度以て天下を譲る。」に例のある通りです。「能」「不能」は同じく泰伯第八(189)の「以能問於不能」「以て能を不能に問う。」にあるようにそれぞれを「能(のう)」「不能(ふのう)」として読んでみました。

孔子の考え方からすれば国を治めるには礼によらなければならないはずです。しかし形式だけに囚われることなく柔軟に対処することが場合によっては必要となることもあり得ると思われます。為政者に能力があれば、そうした柔軟さがあっても問題はないということなのでしょう。しかし為政者が能力もなしに礼を譲歩して国を治めるというなら、いったい礼はどうなるのだろうか。と孔子は嘆いているのではないでしょうか。

この章は学而第一(012)と同じテーマを扱っていると考えられます。学而第一(012)は「礼をこれ用うるには、和を貴しと為す。先王の道もこれを美と為せり。小大これに由らば行われざる所あればなり。和を知りて和するも、礼を以てこれを節せざれば、亦行うべからざるなり。」として、礼に拠って国を治める上での和の重要性を述べると共に、しかし根本的には礼で節することの重要性を述べる章となっています。その上で、この里仁第四(079)では礼を用いる上で和を貴しとするためには為政者に力量が必要であることを述べていると読むことができます。学而第一(012)でいう先王の道であれば容易に実現できる「和を貴し」も不能者が行うことは難しいという見解を述べている章だと言えそうです。

基本的には礼を重んじて国を治めることを実践すればよく、能力の高い為政者であれば、そこに和を取り入れる事が出来るのであり、不能者が和を取り入れようとしても礼の精神を台無しにするばかりだという意味なのでしょう。