1. 公冶長第五(095)N

公冶長第五(095)論語ノート

子貢問曰。賜也何如。子曰。女器也。曰。何器也。曰。瑚璉也。

子貢問うて曰く、賜や何如。子曰く、女(なんじ)は器なり。曰く、何の器なり。曰く、瑚璉(これん)なり。

子貢が尋ねた。私はどうですか。子曰く、おまえは人に使われる器だ。曰く、何の器ですか。曰く、政を為すに役立つものだ。

この章をどのように解釈するかは、論語を読む上で大切な問題です。論語の中で「器」という文字が使われるのは、公冶長第五(095)を含めて為政第二(028)「君子は器ならず。」八佾第三(062)「管仲の器は小なるかな。」子路第十三(327)「器の小人」衛霊公第十五(388)「その器は是の邦に居ればなり。」の五章です。これらは「こまごまとした実用に使われるもの」「うつわ」「器量」という意味で使われています。つまり「器」とは人に使われるべき器(うつわ)という意味です。

孔子は、人を使う域に達した君子と、人に使われるべき器(うつわ)の域の小人とがあるが、子貢は器であると評価しています。修養に励む子貢は、礼の作法を身につけて祭には役に立つという意味で、祭に使う瑚璉という器に例えられます。

孔子は衛霊公第十五(388)において、子貢が仁を為すならば「その大夫の賢なる者に事え、その士の仁なる者を友とせよ。」と伝えます。つまり「器の域」にある子貢には、仁の道に外れないための羅針盤が未だ十分には備わっていないけれども、導き手と励ましあう仲間がいる環境で仕官するべきだと述べるのです。

孔子が修養の過程にある弟子のことを「器」だといってもおかしくはありません。また、こうした子貢を導く孔子の言は論語の中に幾つも記されています。これは子貢本人が、そういう記録を残すことを許したからではないでしょうか。学而第一(015)で、孔子が子貢に語ったことは「諸に往くを告げて来るを知る者なればなり。」でした。子貢は、導けば来ることができる者であり、人を導くことと、自ら修めることが仁の道に進む方法であるならば、その道を進んだ子貢が既に通過した道のりを振り返っているからこそ、その記録を許し後世に道を示すことが出来ていると読むべきではないでしょうか。