1. 雍也第六(123)N

雍也第六(123)論語ノート

子謂仲弓曰。犂牛之子。騂且角。雖欲勿用。山川其舎諸。

子。仲弓を謂いて曰く。犂牛の子、騂(あか)くして且つ角あらば、用いる勿れと欲すといえども、山川それ、これを舎(お)かんや。

孔子が仲弓について言った。労役用の雑種の牛の子でも、毛並みが艶やかで、立派な角があれば、用いるべきでないと欲したとしても、山川の神がそれらのものをほっておくまい。

孔子が仲弓について言った。孔子学団の門下生のもので、筋が良くて、頭角を現すものがあれば、たとえ小国が用いるべきでないと欲したとしても、さらに大国が彼らをほってはおくまい。

本章は、人事考課の心理的偏向を述べているように思われる。「用いる勿れと欲す」とは、「用いるべきでないと欲す」という意味になる。誰が孔子の門下生を用いるべきでないと欲するのだろうか。孔子が優秀な人材を手放したくないと思うのだろうか。子罕第九(217)では「手元に美玉があれば、それを売り込もう」と述べていることからすれば、孔子がそうは欲しない。孔子の門下生であるがゆえに孔子を快く思わない小国において登用されない事態があったとすれば、優秀な人材であっても、その国の心理的偏向によって登用されないことがあるというふうに解しても良いように思えてくる。しかし小国が登用しなくても、大国がほっておかないと励ましている図と読めないだろうか。論語では、自身が知られないのは、自身が未熟であるからだと述べて、自己成長を促す章が多くみられる。苦しいときにも、それを自己成長に転化させるように励ましている。しかし、そうでない、受け入れ側の心理的偏向という事情もあるだろう。しかし、人物が優れていれば、必ず登用されるときが来る。そう思って自己成長を続けようと読んでみたい。