1. 需要の創造

需要の創造

生理的欲求は有限であり、生理的欲求を満たすための筋道となる手段を求めることが需要である。生理的欲求を満たすことは生きることであり、生理的欲求を創造することは、生命を創造することのように思える。これまでは需要を創造するとは、生命を創造することのように感じられ、神の領域の話に近いものとして理解しないようにしてきた。ところが最近、「情報の発信は需要の創造である。」という言葉を聞いて納得ができたような気がした。つまり誰かに生理的欲求を満たす筋道を示すことで、ある物事が生理的欲求を満たすために必要なものであることが理解される(これを開発という。)と、その人はその筋道となる手段を欲することができるようになる。これが需要の創造に他ならない。つまり、ある商品がどのように生理的欲求を満たすものであるかという情報を発信して、それが理解されると需要が創造できる。しかしそれは生理的欲求の総量が増えることではない。需要も人の生理的欲求の総量で規定されている。しかも需要は人が生理的欲求充足のために自ら欲する手段であり、主体的な営みといえる。ゆえに「需要の創造者」は生理的欲求を満たす「手段」であることを控えめに理解してもらえるように努力して、その「手段」として選択してもらおうとする。

カップラーメンを開発した事業者がカップラーメンを顧客に勧める。顧客がそれを食べておいしいと思う。手早く作れて、金額も手ごろで、おいしい。もっと欲しいと思う。これは需要の創造といえる。それまでカップラーメンなどなくても生きてきた人生においても、以後はカップラーメンがあって欲しいと思うようになる。しかしカップラーメンはその人の食欲の内のほんの一部を満たすものとなるに過ぎない。カップラーメン分の新しい食欲が生み出されるわけではない。つまり人が持っている生理的欲求が満たされるうえで、より良い手段として選んでもらえるように努力することが需要の創造といえるのではないだろうか。