1. 快楽について

快楽について

直接的な生理的欲求充足

生理的欲求充足の喜びを快楽というとすれば、人は動物として生理的欲求を充足するために生きているため、人が感じる快楽の源泉は、全て生理的欲求の充足といえます。例えば、ミカンを食べておいしい、ステーキを食べておいしいという味覚に基づくおいしいという喜びも、喜びにいたるプロセスは幾通りあるとしても、食欲を満たしている喜びとなります。

間接的な生理的欲求充足(集団欲)

第一次擬似的体感(第一次表象作用)

人は弱小動物であり生理的欲求充足のためには常に集団で行動する必要があり、集団化ということは、概ね生理的欲求充足と不可分に結びついた前提条件となります。そのため人は意識するか否かに関わらず、集団化を欲する傾向があり、これを生理的欲求充足と不可分に結びついた第一次擬似的体感(第一次表象作用)としての「集団欲」と呼びます。(呼ぶこととします。)

集団欲を満たすとは実際に集団化することを意味しており、集団欲を満たすことも快楽を生みますが、これは直接的な生理的欲求充足ではなく、生理的欲求充足の快楽が擬似的に体感される状態を表します。(意味不明?)

集団欲などといえば、あたかも裸祭りのように、すし詰めでたくさんの人が一カ所に集まるように聞こえる恐れがあるものの、私のイメージでは、例えば恋人と二人で堤防で寄り添ってすわっているようなことも、集団欲充足に含まれます。

第二次擬似的体感(第二次表象作用)

さらに、その集団欲を擬似的に体感する、第二次擬似的体感(第二次表象作用)として、例えば高級外車に乗ることや、高級腕時計をすることや、ファッションセンスのよい洋服を着ること等があります。

つまり、100万円の自動車で十分事足りるのに、300万円の自動車に乗りたいという思いがある場合、300万円の自動車に乗ることで、周囲から羨望の目を受けたいと欲しているのですが、それは、注目されたい、かまってもらいたいという意志の表れです。つまり直接的には集団欲を満たしませんが、高級自動車にのることで、集団欲を満たしているように感じる。つまり集団欲が擬似的に体感されているといえます。

本当は100万円の自動車であっても、隣にいる人から、ぽんと肩をたたかれて、「いい車に乗ってるね」と一言声を掛けてもらう方がうれしいかもしれません。大抵は、自分が人との関わりを欲しているためにそういう行動をとっていると自覚しないものですが、自覚する方が楽です。例えば、孤独さをことさら演じる人がある場合、孤独であることで社会から注目を集めようと考えておられると思います。そうして社会から受け入れられたいのにどんどんと孤独さを演じ続けなければならないとすると、これは矛盾ですから、生き方としてしんどいことだと思うのです。