人は、霊長目ヒト科の哺乳類であり、動物の一種である。人は、生命をもち、生理的欲求を充足するためにのみ生きており、空腹を満たすべく行動している。

しかし人は弱小動物であり、ただ一人で生理的欲求を充足することはできない。人は集団で行動し生理的欲求を満たす必要がある。しかしそれは絶対に集団で行動しなければならないという条件ではなく、例えば隔離された部屋に寝泊まりして、朝、昼、夜と、食事を与えられるなら、集団で行動する必要性は存在しない。

集団で行動するということは、現代社会においては、働くことを意味する。人はそれぞれが生理的欲求を充足する手段として社会的分業という形で日々働いている。働かなくても生きてゆける条件があれば働く必要はないが、生理的欲求充足のためには働かざるを得ず、必然的に社会参加を行うことの暗黙の強制力が働いている。しかし、どのような形で社会参加を果たすかは、各人の自由であり、職業選択の自由となる。

人は生理的欲求充足のためだけに生きており、死とは生理的欲求充足の必要がなくなるときを意味する。

生理的欲求充足の短絡という考え方がある。それは食欲や性欲や睡眠欲を直接的に満たせば、人間の行動が最小限度の合理性で完結し、意識や理性の拡張が生まれないことを指す。

知的生命体である人の特長として、生理的欲求の充足を目標と見据えて時間軸の拡張を行うことができる。15年後に実現したいことを考え、10年後に到達すべき地点を考え、5年後に目指すべき課題を考え、そしていま始めるべきことを知ることができる。15年後の生理的欲求充足を思うことで、いまを規定し、目的意識をもって自身を統括することができる。

人は刹那に身を任せ、時間軸を歩むことを忘れがちになる。この項が、時間軸を取り戻す助けとなれば幸いである。