1. 知る

知る

知るとは暗闇で手を伸ばして何かに触れて、その位置関係を確認することのように思える。高い所から全体像を見下ろすようなものではなく、成り行きにまかせて試みることで新たな境地を得ることだと思う。客観的事実は知ろうが知るまいが不変なのだが、それを知ることで新たな関係性の変化が加わり、事実は大きく変化する。客観的事実と認識との間のズレを埋めるために試行錯誤に終わりはない。

知るとは、「理解できた」ことを表すのではないだろうか。理解できないことは、たとえそれが目に映ったとしても見過ごされてしまうだろう。ゆえに知るとは、物事を自分が理解できる言葉に変換すること。自分の脳内に情報として取り込むところまでを表すように思う。それは自分が既に知っていることに紐付けることを表す。その連環は、へちまの繊維のように立体的な構造をなす。

面白いことに人が作った紙の表計算資料を見ながら、自分で会計ソフトに入力すれば膨大な時間が必要になる。しかしそれをCSVデータとして受け取って、会計ソフト用に整形して取り込めば、一気に情報が意味のある会計データに転用できる。もしも形式的な意味で、知るということが表計算資料を手に受け取ることであるとしても、本当は整形して会計ソフトに取り込むところまでが知るということなのかもしれない。集計し、分類してはじめてそのものの意味を生きた形で掌握できる。掌握しなければ、何を知っているというのだろうか。

このように既知のものへの紐付け方を身に付けていれば、膨大な反復作業を回避した近道を通って未知と既知との連結を実現できるに違いない。例えば雑誌の定期購読をしていて家に最新号が届いても、目を通さなければ何も受け取ったことにはならない。例えば道を歩いていて、何かの店の前を通っても、その店が情報を発信しなければ、存在しないのと同じ意味になってしまう。このように、知るとは既知のものへの紐付けと、生きた形での掌握を意味している。ある人にとっては存在しており、他の人にとっては存在しない。それぞれにとっての存在の有無は実在性とは別の問題で、知るとは、つまりその対象物をはっきりと目標化するという意味をもっている。