1. 公冶長第五(111)N

公冶長第五(111)論語ノート

季文子。三思而後行。子聞之曰。再斯可矣。

季文子、三思して後に行う。子これを聞いて曰く。再びすれば可なるかな。

季文子は三回思案してから実行した。孔子はこれを聞いて曰く。もう三回考えれば論点を切り分けることができるだろう。

本章は、引っ込み思案で行動に踏み出せないさまを揶揄するかのように読まれていますが、そうではないと思います。孔子は述而第七(157)でも「事に臨みて懼(おそ)る。」ことの大切さを述べています。人の慎重さを揶揄してどうなるのでしょうか。例えば、論語の陽貨第十七(438)では、孔子が「雞を割くに焉んぞ牛刀を用いん。」として弟子の子游の丁寧さをからかうのですが、結局それは孔子自身の教えを守っていることを微笑ましく称えているという意味なのです。故に本章も、趣旨としては、二回で良いと述べているのではないことが想像できます。

「再斯可矣。」の「斯」の字には、分かつという意味があります。再びすれば……。割きて可なり。分かつことができる。という趣旨で、再び三思すれば、判断ができる。論点を切り分けられると読む方が論語らしく感じます。三思を二思で良いという冗談が孔子の口から発せられたとしても、ここは子游のように、反論を試みたいと思います。