1. 陽貨第十七(438)N

陽貨第十七(438)論語ノート

子之武城。聞弦歌之声。夫子莞爾而笑曰。割雞焉用牛刀。子游対曰。昔者偃也。聞諸夫子。曰。君子学道則愛人。小人学道則易使也。子曰。二三子。偃之言是也。前言戯之耳。

子武城に之(ゆ)き。弦歌の声を聞く。夫子莞爾として笑って曰く。雞を割くに焉んぞ牛刀を用いん。子游対(こた)えて曰く。昔、偃也。諸を夫子に聞けり。曰く。君子道を学べば人を愛し。小人道を学べば使い易き也。子曰く。二三子。偃之言是也。前言はこれを耳する戯れ也。

孔子が武城に行き、弦歌の声を聞いた。先生はにっこりとして笑って言った。鶏を調理するのに何で牛刀を用いるのかな。子游が応えて言った。昔、私はこれを先生から聞きました。先生が言うには、君子が道を学べば人を愛するようになる。小人が道を学べば使い易くなる。というものです。孔子が言った。君たち、子游の言葉が正しいよ。前言はこれを聞くための戯れだ。

この章の「君子学道則愛人。小人学道則易使也。」という部分をやっと読み取ることができました。本章は民を小人と述べているのではないのです。これは子路第十三(327)の話であって、子游は自身を小人だと謙遜して表現しているのでした。憲問第十四(376)に「子曰。上好礼。則民易使也。」とあります。これは子路第十三(306)の参照を促す章だといえます。子路第十三(306)には「上礼を好めば、民敢えて敬せざるなし」とあります。そして憲問第十四(377)には「己を脩(おさ)めて以て百姓を安んぜん。」とあります。これらはいずれも民との向き合い方を示す章であり、いずれも民を小人と述べるものではありません。

孔子が子游の治める武城を訪ねた際に、弦楽器に合わせて歌う声が聞こえてきます。泰伯第八(192)「子曰。興於詩。立於礼。成於楽。子曰く。詩に興り、礼に立ち、楽に成る。」という孔子の言葉を実践する子游ではあるものの、大げさで微笑ましく感じた孔子が、「なぜ鶏を調理するのに牛刀を用いるのかな。」と冗談を交えて尋ねます。そこで子游は、「君子が道を学べば人を愛するようになり、私が道を学べば使い易くなろうというものです。」と答えたのです。これは学而第一(005)に「子曰く。千乗の国を道びくには、事を敬みて信あり、用を節して人を愛し、民を使うに時を以てす。」とあるように君子が道を学べば人を愛するようになることを述べ、そして子路第十三(327)の器の小人の話を引き合いに出して、器が道を学べば使い易い器になりましょうと述べたのだと思います。そこで孔子はすっかり感心して、共に従っていた者たちに「子游の言うことが正しい。私の前言は、子游の言葉を聞くために発した戯れだ。」と述べたという場面なのだと思います。