1. 先進第十一(255)N

先進第十一(255)論語ノート

子曰。従我於陳蔡者。皆不及門也。徳行。顔淵。閔子騫。冉伯牛。仲弓。言語。宰我。子貢。政事。冉有。季路。文学。子游。子夏。

この章を「皆門に及ばざりき」と読むことについて、私は個人的には、すっきりとしません。陳蔡にまで付き従った弟子たちが、孔子の門下として万能ではなく、それぞれの得意分野ごとに分けて説明していると考えると、歴訪に従った愛弟子への評価として厳しく割り切り過ぎるように思います。また「門下にはいなくなった」と読むのもそれに続く弟子の説明に、つながりにくいと思います。

ここは、私がかってに思うには、門は、「問」の口が剥落したもので、「問うには及ばざる也」と読んでみると自然な気がします。季氏第十六(426)で「言未及之而言」「言いまだこれに及ばずして言う」という読み方があるように、この章でも「問うには及ばず」というような読み方があってもよさそうです。

この章は、論語をめくって見ると、雍也第六(125)で季康子問。と続くところの、季康子が「弟子はどうですか?政治が任せられますか?」という問いかけと同じ出来事を記しているのかもしれません。雍也第六(125)で孔子は、季康子に問われた子路と冉求について「政治を行うくらいなんでもない」と説明しています。これは先進第十一(255)の「政事。冉有。季路。」と符合しています。同じく子貢についても「政治を行うくらいなんでもない」と説明しています。これも、先進第十一(255)では子貢は「言語」となっていますが、だいたいOKとしましょう。この孔子の季康子への返答の勢いは、孔子自ら陳蔡に従った弟子について説明を行ったことについての記録と見ると良いように私は思います。といっても、実際には、雍也第六(125)のようなやりとりがあったものを、筆記者が概略をまとめて「徳行。顔淵。閔子騫。冉伯牛。仲弓。言語。宰我。子貢。政事。冉有。季路。文学。子游。子夏。」と記したものと考えたいところです。孔子として諸国歴訪に従った弟子についての思い入れもあるでしょうから、「政治が任せられますか?」というような問いかけに対しては、弟子の到達点の高さについては、一言も二言も主張しておこうという思いが出るのが自然と思われます。そういう趣旨から雍也第六(125)の章の発言があると読むと納得できます。

時間の流れの上で、季康子が孔子に問うという場面が、陳蔡歴訪の後のことなのかは私は素人で知りませんが、論語の章立ての上では雍也第六(121)で哀公が問い、願回が亡くなっているので年表の上では、陳蔡歴訪の後の出来事となるはずです。その(121)よりも後の(125)で季康子問うとあるので、陳蔡歴訪の後と考えてもいいような気がしています。

いずれにしても、孔子の温かい人間性の表れとして「皆不及問也。」「陳蔡に従った弟子たちはどうですか?仁者ですか?政治が任せられますか?」というような質問に対して、「皆あなたが問うには及びません。」として孔子が雍也第六(125)のように説明を行ったというように私は読んで見たいと思うだけです。