1. 憲問第十四(349)N

憲問第十四(349)論語ノート

子路曰。桓公殺公子糾。召忽死之。管仲不死。曰未仁乎。子曰。桓公九合諸候。不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁。

子路曰く。桓公、公子糾を殺す。召忽之に死す。管仲は死せず。未だ仁ならずというか。子曰く。桓公、諸侯を九合し、兵車を以てせざるは管仲の力なり。其の仁に如かん。其の仁に如かん。

この章は「如其仁」「その仁に如かん。」「如(し)く」+適当を表す助動詞「む」で「しかむ」で「しかん」=「同じくらいだろう」「その仁と同じくらいだ」という風に解釈するとどうでしょう。「如」は辞書で引けば、比較するものと同じくらいの程度を表す言葉ということです。孔子は管仲に功績があるということを子路に説明していますが管仲を仁者だとは云っていません。孔子は述而第七(176)で「仁を欲すれば、斯に仁至る。」として仁が、自身の心がけで実行できるものと説明します。また里仁第四(72)で「能く一日も其の力を仁に用うるあらんか。我は未だ力の足らざる者を見ず。」として誰でも一日でも仁を実行できることを説明し、また顔淵第十二(279)に「己れに克ち、礼に復えるを仁と為す。一日、己れに克ちて礼に復えらば天下仁に帰せん。仁を為すは己れに由る、而して人に由らんや。」とも説明しています。つまり仁はその人の心がけで実行できるものであり、その日、その時単位で実践できるものだと思います。そこで管仲の功績も仁であると孔子は見ていると思います。それは、例えば、衛霊公第十五(401)にある「言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。」の考え方において、その行いについて正当に評価しようという考え方に通じるものであり、また、子張第十九(493)にある「文武の道、未だ地に墜ちず、人に在り。」でいう文王、武王の道が全く滅びたのではなく、人の間に保存されているという考え方。例えば金鉱脈のように、広くちりばめられているとしても、そこにある文武の道の断片について評価して学ぶという姿勢。そういう考え方も背景にあることを見ておきたいところです。しかし仁者となると里仁第四(68)で「仁者安仁。」とあるようにずっと仁に安んずることができるもののことをいうのであってその境地に到達することは難しいものだと思います。

宮崎先生は、「其の仁を如(いかん)せん」と読み、「其の仁」=「管仲なりの仁」を認める孔子の思いを読み取っておられます。普通の読者たる私としても孔子が管仲を全面的に仁者だとは言わないはずだと思い至るところです。その前提に立ってこの章をどう読もうかと考えるのですが、私は「管仲の功績=その仁」と、子路のいう「管仲不死。」の不仁とが「如」つまり同じようなものだといっているのだと考えます。私が口語訳するとすれば、「子路曰。桓公は公子糾を殺し、召忽は殉死しましたが管仲は死にませんでした。これでは管仲という人物は未だ仁とは言わないでしょう?子曰。桓公が兵車によらずに諸侯を九合したのは管仲の力だ。子路のいう不仁があっても、この功績は同じくらいに価値がある。この功績は同じくらいに価値があるよ。」

孔子は先進第十一(268)において「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」と云っています。このように中庸の徳に及ばないことと行き過ぎたことは同じだという物事の捉え方があれば、仁であることと、不仁であることの程度について比較して発言することも自然な思考過程だと私は思うのです。言い過ぎかもしれませんが「この功績は同じくらいに価値がある。この功績で帳消しだよ。」とした方がわかり易いかもしれません。