憲問第十四(357)論語ノート
子曰。古之学者為己。今之学者為人。
子曰く。古(いにしえ)の学者は己の為にす。今の学者は人の為にす。
子曰く。古(いにしえ)の学者は、己の為に学問を行う自覚があった。今の学者にはその自覚がない。
現代社会においても「それは自分のためにするのよ。分かってる?」という口語がある。「人のためにする」というのは、自分のためにすることとの繋がりが切れた行動という意味かもしれない。本来、人は自分のために行動するものであって、その延長に家族のため、社会のためという価値観の拡張が図られるのではないだろうか。
明確に言えば、「自分のためにならない、人のための行動」なるものは存在しない。もしも自分のためにならずに人のためだけになる行動があるとして、それを自分が行うことは、そもそも自分のためにはならず、結果として人のためにもならないはずである。
「人の為に謀りて忠ならざるか。」学而第一(004)とあるように、人の為の行動とは良い意味の言葉であるはずで、本章には妙な解釈を当てるべきではないと思います。しかし自分のためになることの延長に人のためになる行動があるという自覚がなければ、本当の意味での探求心が発揮されず、未だ十分に自覚のない向学心に留まってしまうという示唆ではないかと思うため、ここに覚え書きをしておきます。