1. 陽貨第十七(460)N

陽貨第十七(460)論語ノート

子曰。年四十而見悪。焉其終也已。

子曰く、年四十にして悪まるるを見る。いずくんぞ其れ終らんのみ。

子曰く、四十代になって悪まれ口に遇うとは。お前覚えておけよ。

この章の従来解釈は「四十代になって悪まれるようでは、お終いだ。」というものです。宮崎先生は、この章において「単に悪まれるということでは、不肖である証拠にはならなかったはずである。」と一九七四年に「論語の新研究」の中に記しておられます。

私の解釈は全く違います。この章は、陽貨第十七(458)(459)に続く、孔子と子貢の対話の延長と捉えるべきだと考えます。陽貨第十七(458)で孔子が子貢に課題を指し示したところ思わぬ反撃に遭います。そこで陽貨第十七(459)では、孔子は子貢に対して、そんな反撃をするようでは子貢は子供同然だと不満を述べます。そして最後に出た孔子の言葉が陽貨第十七(460)だと思うのです。この章の「焉」は「焉其終也已。」「いずくんぞ其れ終わらんのみ。」として後ろに続く文の頭に付き、反語を表すのが自然な読み方だと私は思います。

この章は陽貨第十七(458)での子貢の発言に対する、孔子の感想だと私は考えます。子貢の発言は「得られないものを得ようすることが真理の探求だと思うことを悪みます。引き下がらないことを勇ましいと思うことを悪みます。面と向かって仰ることが正しいと思うことを悪みます。」という内容です。そのような辛辣な発言を子貢から突きつけられた孔子は、仁は得られないものではなく道の行われる国があるはずだという意識から「焉其終也已。」「いずくんぞ其れ終わらんのみ。」どうしてそれで終わるわけではない。これからも道を求めて行くのだからという思いを述べたと読むことができます。

もしくは、「焉其終也已。」「何でこれで終わりなものか。」と孔子が述べたのは、私たちもよく言う「覚えておけよ。」という意味かもしれません。つまり、「何で四十代にもなって面と向かって悪口を言われなければならないのか。これで終わったと思うなよ。(覚えておけよ。)」という発言ではないでしょうか。

自然に読める「焉其終也已。」が採用されなかった本当の理由は雍也第六(143)にあるように思います。そこには「仁者雖告之曰。井有仁焉。其従之也。」とあって、「仁者は之に告げて、井に人ありというと雖も、其れこれに従わん。」と読まれています。これをもしも「仁者雖告之日升。有仁。焉其従之也。」「仁者はこれに日の昇るを告ぐると雖も、仁に有り、いずくんぞ其れ之に従わん。」と読めばどうでしょうか。実は論語の中に「函谷関の鶏鳴」の故事が示されているように読めます。しかし訓詁学者は、想定外の解釈を認める訳にはいきません。そのため雍也第六(143)の解釈の整合性をとるために、論語の中には「焉其+動詞+也已」という「焉」字の用法を認めないことにしたのだと私は考えます。

しかし伝説というのは、時代を通じて語り継がれる中で、その時代の物語を内包していくのであり、論語の中に孟嘗君が語られても論語の値打ちは不動だと私は思います。しかし論語の一言一句が教科書であった時代には、論語の中に孟嘗君を登場させるような奇論は何としても是認されなかったのでしょう。

しかし、いずれにしても二千数百年にわたって四十代が不当に切り捨てられる異読の扱いを受けて来たのであれば、私は、ここに四十代の復権を宣言しておきたいと思います。