日中の意識のもとでは、わからないこと自体を恐れて、物事を深く考えることができない。明け方、布団にくるまれている状態で、うとうとしている時間帯に、恐怖心から逃れて、他に注意力をそらす必要もない安心感から、自由な思索に耽ることができることは経験的に知られている。夢とは、そういうときに起こる脳内記憶の最適化現象といえる。顕在化した意識とはいえないが、水面下での思索を繰り返し、一定の結論を得ることもある。例えば、その日に発表しなければならない仕事において、説明する言葉の組み立て方などを知らず知らずに予行演習して納得の域に達することができることもある。また人間は、集中すれば願望の予行演習として、脳内で鮮明な映像を動かすこともできる。そういう夢は、情報処理量が多いため、薄暗い部屋で横たわるなど、他に妨げるもののない環境が必要になるのだろう。

思うに、そうして目の前にないものをあるように認識することができる能力があって初めて、人間は、常にそのことを欲し続けることができるのではないだろうか。ゆえに、単に文字情報だけのような目標を追い求めることが夢だと捉えていると、案外、それでは執着心が弱いまま見過ごされてしまうものがあるのではないか。このように考えてみると、目標の夢も、明け方の夢も、ないものをあるものとして認識する能力といえそうだ。それならば、できるだけ具体的に映像水準の夢をみて自分自身を高みに導く方がよい。やはり目標達成には適度な睡眠が必要不可欠なのだろう。