1. 述而第七(155)N

述而第七(155)論語ノート

子曰。不憤不啓。不悱不発。挙一隅不以三隅。反則不復也。

子曰く。憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以てせざれば、却って復びせざるなり。

孔子が言うには、憤りがなければ開眼しない。苦しみがなければ行動に踏み出せない。しかし、一面の評価で登用され、他面が捨てられるなら、却ってやる気も失せてくる。

「不憤不啓。不悱不発。」とは、「怒りの中から物事の真の姿を理解する。苦しみの中から自己努力を始めることができる。」という意味だと思います。本章の意味を考えてみましょう。

まず「挙一隅。不以三隅反。」の部分については、「挙」の文字に着目しました。論語の中で「挙」は他に7つの章に使われており、為政第二(035)と顔淵第十二(300)に「挙直錯諸枉。」、為政第二(036)に「挙善而教不能則勧。」、顔淵第十二(304)に「赦小過。挙賢才。」、衛霊公第十五(401)に「君子不以言挙人。」、堯曰第二十(497)に「挙逸民。」、郷党第十(253)に「色斯挙矣。」とあります。このうち郷党第十(253)は古語の引用で、私はその読み方を理解していません。その他は、人物を登用する、用いるという意味で使われています。そのため本章においても、「挙」は登用するという意味ではないかと考えました。

次に句読の切り方を変えてみます。「挙一隅。不以三隅反。則不復也。」を「挙一隅不以三隅。反則不復也。」としてみると、前半部分は「一隅を挙げて三隅を以てせざれば」と読むことができます。ここで「一隅」とは四角い平面の一隅だと考えますが、その意味は複数人の中から一人を登用することであったり、他面的な能力の内、ある能力を評価して登用するということだと思います。論語の中には例えば述而第七(157)「用之則行。舎之則蔵。これを用うれば則ち行い、これを捨つれば則ち蔵(かく)る。」のように「登用されなければ……」という章が幾つもみられます。人の能力は一面でなく多面でありながら、いつの時代にも上に立つものに評価されずに登用されないことがあるのでしょう。その時、述而第七(157)のように黙っていれば良いとする章と、憲問第十四(364)「不患人之不己知。患己無能也。人の己を知らざるを患(うれ)えず。己の能くするなきを患う。」のように、自己努力せよと促す章があります。

ここまでをまとめてみると、理不尽な怒りの中から開眼し、苦しみ悩んで自己努力を重ねことができる。しかし自身の能力は評価されずに登用されないことがある。その時、能力不足を考えて、人に知られるように成長の努力を行えば良い。能力が認められなければ黙って隠れていれば良い。そうした不遇こそ、啓発の力であり、自己努力の力に転化できるという文意になると思います。本章も、論語共通の応援の言葉に貫かれていることがわかります。

続いて「挙一隅不以三隅。反則不復也。」の後半部分「反則不復也。」についてです。「反」には「却って」「逆に」という意味があります。「復」には「ふたたびする」「元の状態に戻る」という意味があります。これらを考慮して「反則不復也。」を読めば、「却ってふたたびせざるなり。」となります。却って再びせざるなりとは何でしょうか。それは不遇こそが啓発の原動力であるのに、あまりに理不尽では却って努力の姿勢が損なわれるという嘆きの言葉ではないでしょうか。つまり論語には励ましの言葉だけでなく、嘆いて寄り添う言葉もあるということが分かります。