1. 季氏第十六(426)N

季氏第十六(426)論語ノート

孔子曰。侍於君子有三愆。言未及之而言。謂之躁。言及之而不言。謂之隠。未見顔色而言。謂之瞽。

孔子曰く。君子に侍するに三愆(さんけん)あり。言(げん)いまだ之に及ばずして言う。之を躁(そう)と謂う。言これに及んで言わざる。これを隠と謂う。いまだ顔色を見ずして言う。之を瞽(こ)と謂う。

「侍」は身分の高い人に仕える意。「於君子」は、この場合「諸君においては」ではなく「君子に」と考えたい。「愆」は過ちの意。「謂う」は何かをめぐってものをいう意であり、胃という字が含まれているので、食に通じるように考えて「意の味をいう」=「意味をいう」と考えると面白い。「躁」は、落ち着きがなく、さわがしい。「隠」は、かくす意味。「瞽」は目が見えない人の意。「言が之に及ばない。言が之に及ぶ」という時の、之とは何を表すと考えるべきか。「之」とは歩きながら見える自分の足の動きから、近称の指示詞。言うは行うことを前提とした言葉とすれば、「行いが及ばないのに言う。」「行うことができるのに言わない」という意味か。顔色を見ないとは、君子の顔色を見ないと読むことができる。

孔子が言う。君子に仕えるうえで三つのあやまりがある。いまだ行えないことを言うのは軽はずみだ。行えることを言わないのは、隠すことだ。君子の顔色を見ずに言うのは前後を見ない行動だ。