1. クーポン

クーポン

そもそもクーポンとは

飲食店や小売店を紹介する雑誌やウェブサイトに、閲覧特典として掲載されており、それを持参すれば割引やサービスを受けることができる券をいう。その券を印刷して持参したり、スマートフォンの画面を示したりした人だけがその恩恵を受けることができる制度となっている。店側にとっては広告会社と契約してお金を支払っているため、その広告媒体の集客効果を判断する目安となるものでもある。また広告会社にとっては、自社広告に閲覧特典を付与できるため提供する広告媒体の価値を高めることができる。

クーポンには負の効果がある。

しかしながら、宴会を手配する幹事の立場から言わせて頂けるならば、クーポンは、精神的に疲れる制度ともいえる。もともと魅力的なお店があり、そのお店を利用したいと最初から考えており、普通に予約してそれで済む話なのに、わざわざインターネットや雑誌からクーポンを探してきて、それを示して10%引きでお願いしますなどと言わなければならない。クーポンが配布されているのにそれを使わなければ、宴会の参加者からは割高な料金でセッティングしたことを非難されることになる。しかしながら見方を変えれば料金を10%も割引しなければならない不利な券をお店に対して差し示さなければならないという役回りは、何とも申し訳なくて恥ずかしい気持ちになり、精神的にしんどくなってしまう。「それだったら最初から安くしておいて欲しい。」そんなしんどい役回りをやらされるなら宴会はやりたくないというような負の効果が間違いなくあるように思う。

クーポンは売り手よし、買い手よしなのか。

もしもクーポンがお客さんにとってもお店にとっても意義のあるものだとすれば、それはどのようなことだろうか。それは複数回来店してくれる人に割引をする。人数が多い場合に割引をする。平日に来てくれたら割引をする。近隣の会社が宴会に利用する場合には割引をする。(近いということは余分な交通費が掛からない分他店より安価に宴会ができる店としての立地の優位性があり、独占的な強みを発揮できる常連客を開拓できる可能性がある。)つまり、宴会の幹事がお店に対してクーポンを示すことが、お店にとってのメリットにもなっているということがはっきりわかるような仕掛けがあってはじめて本当のクーポンなのではないだろうか。お客とお店と両者に利点があるなら、そのクーポンを出すことで、そのお店のためになる。そのお店のためにもっと利用しようという率直な動機付けになる。だからこそ、そういう分かりやすいクーポンを望みたい。分かりにくいクーポンには負の効果が伴うのだから。

クーポンには誘客の効果がある。

しかしもう少し考えてみよう。それでは、自分はなぜそのお店の魅力を知っているのだろうか。人づてに聞いたからかもしれないし、実際に利用したからかもしれない。雑誌やインターネットに高評価で掲載されていたからかもしれない。なぜそのように様々な人がそのお店の魅力を知っているのかといえば、広告を出しているからに他ならない。その広告媒体が多くの人に認知されているのは、クーポンで注目度を保っているからではないだろうか。そしてクーポンで割安に利用できる店として好印象を与えることもそのお店の魅力に他ならない。そして利用者が一旦そのお店の魅力を知ると、口コミで他者に紹介することもある。何度も利用することもある。その時に、新たに紹介された人がそのクーポンを利用する。自分も再びクーポンを使って割引を受けるかもしれない。そうしてそのお店の魅力を再実感するだろう。

クーポンの費用は価格に転嫁されている。

クーポンを示して10%の割引が受けられるとすれば、それはお店にとっては広告料の一種に他ならない。お店の情報露出度を高めて誘客を維持するために割引を続けているのであれば、そのお店の商品価格を考えるときには、その割引分を差し引いて採算が合うように原価計算がされている必要がある。つまり、クーポンを使った後の値段が正規の値段であり、クーポン分を上乗せした価格が店頭価格というように、設定しておかなければ持続可能でないことになる。しかしそうなると、もしもクーポンを使わなければ、クーポン分だけ高く支払うことになってしまう。行き損ということになる。情報弱者が損をすることになる。だからお客さんはクーポンを使わなければならない。斬るか斬られるかの真剣勝負に他ならない。

クーポンにはお店の厚意の側面がある。

しかしお店から見たときには、そうでもない。もともと地域に親しまれるお店を目指して、広告料を原価計算していない価格でメニューを作り、実績を積んで評判を得ているのであり、そのお店が、もう一回り誘客を図ろうとして利用するのがクーポンを配信する広告会社ということになる。そこでクーポンを持参した客には、特典を付けてくださいと依頼される。お店は誘客のためだからと、もともと広告料が含まれていない料金からの割引を行う。そうするとそれはお店の損ということになる。それでも繰り返し来店してもらえるなら、その減額分の利益を来店増で回収することができるのかもしれないが、利益率は下がってしまう。だからクーポンがお店の厚意で成り立っていることも多いに違いない。そして昔から人の厚意に甘えすぎるのはよくないという教えがある。

クーポンには常連客同等性を示す意味がある。

ところでお店によっては、メンバーズカードというものがあり、そのお店の会員になれば、クーポンを示すまでもなく同様の割引が受けられる場合がある。お店に行き慣れてくると、クーポンではなくメンバーズカードを作って、同様の割引を受ければよいこともある。そしてクーポンとメンバーズカードは併用できないことが多いはず。そのメンバーズカードなら、常連客に対する割引をお店側がもともと提供している場合がある。その時には、クーポンも広義のメンバーズカードであり、意味が分かりやすいものとなる。しかしその場合でも情報弱者が損をする仕組みになっている。お店も、すべての人に割引価格で商品を提供するわけにはいかない。初めて来店するお客さんには正規の価格を支払ってもらってもよいだろう。何度も足を運んでくれるお客さんには、その回数の中で利益を得ることができるから、一定の割引をしてもよい。常連でないお客さんがクーポンを持ってくるとすれば、それはクーポン利用者層という常連集団の中の一人としての来店なのであり、実質的に常連客と同様の意義を与えられるからだろう。だからある意味でクーポンとは常連客集団の一員として来店していることを示すものであり、たとえ初めて訪れる店であっても、それは常連客の化身、もしくは代表としての来店だから、常連客と同様の割引価格を提供されてもおかしくないと考えることもできそうだ。

クーポンとは常連客であることを示して相応の待遇を受けられるもの。

毎日クーポンを持って店を訪れる様々なお客さんの集合をたった一人の常連客だとみなしたとき、その常連客に対して最大限のおもてなしをすることは、お店としては当然の思いになれるかもしれない。毎日何回も足を運んでくれるお客さんは素晴らしく上得意様ということになる。だからこそ10%の割引をするということも損ではない。来店回数で利益を回収できる。だから、個々のお客さんが、誰であっても、それはクーポンを持参しさえすれば「一日常連客」とみなしうる。クーポンとは「一日常連客」であることを示して相応の待遇を受けられるものであり、申し訳ないとか後ろめたいとか、毎回使ってもよいだろうかなどとは、思わなくてもよいに違いない。