1. 鷹山の風景・第二番

鷹山の風景・第二番

鷹山の紹介です。鷹山保存会の配布物によれば鷹山は応仁元年(1467年)以前から巡行に参加し、形態は曳山であり、天明の大火(1788年)後一時「舁山(かきやま)」に改めたが、寛政十年(1798年)に再び曳山になったとされています。曳山としては現在、北観音山南観音山岩戸山が巡行に参加しています。他に現在休み山の布袋山があります。

あるいてゆこう鷹山
鷹山の説明 鷹山の写真
鷹山は「応仁の頃、釜座町と2ヶ所より出したが、徳川幕府時代は当町北町のみより之を出していた。」とも保存会資料に記されています。写真は2006年7月15日宵々山の夕方5時に展示を始められた鷹山飾り席。 飾り席を公開する鷹山 灯の点る鷹山提灯
夜の鷹山飾り席です。鷹山の提灯に灯が点り宵山らしさが漂っています。展示では鷹山の模型の写真もあり、長刀鉾と共用したという車輪を持つ大型の曳山として表現されています。 夜の鷹山飾り席 鷹山模型の写真
左手に見える鷹の見送は、下の額によれば昭和61年7月1日に皆川月華氏より鷹山保存会に寄進されたものとのことです。御神体の人形の左側が鷹狩りをされる貴人であり、中央が樽持ちで手に「ちまき」を持ち、右側が犬遣いで犬を率いています。 鷹山の見送 鷹山の御神体
「非常に大きな曳山で車は長刀鉾と共用していた。」とは鷹山保存会配布資料によるのですが、文政九年に大破した鷹山には、京都市営地下鉄烏丸線四条駅のコンコース階に展示されている文政十三年から使われたという長刀鉾の車輪の、さらに先代が共用されていたということなのでしょう。 四条駅の長刀鉾車輪の展示 長刀鉾展示の説明書き